今日聴く音楽、明日活かす読書

読書メモや音楽鑑賞記録のためのブログです。

【読了】あの日、マーラーが(藤谷治)

おはようございます。

昨夜、藤谷治さんの『あの日、マーラーが』(朝日新聞出版、2015年8月刊)を読了しました。この「あの日」というのは2011年3月11日のこと。その日の午後7:30から、東京・錦糸町すみだトリフォニーホールで、マーラー交響曲第5番が演奏されました。指揮は既に「気鋭」を通り越して「マエストロ」の域に到達しようとしている、ダニエル・ハーディング。オケは、新日本フィルハーモニー交響楽団。聴衆は105人だったと聞きます。

本作は、この事実に基づいた、完全なフィクションであると著者は冒頭で述べていることを書き添えておきます。 

あの日、マーラーが

あの日、マーラーが

 

例によって、読書管理サイトである「読書メーター」さんに書いた私のレビュー(のようなもの)を貼り付けておきます。

傑作なのか、稚拙な作品なのか、よくわからないでいる。「あの日」の演奏会を、ドキュメントとして保存しておく方法もあったろうが、作者や編集者たちは、フィクションを残すことを選んだ。癪に障ったのは、登場人物の造形に、筆が流されていたところ。評論家を描くときとアイドルオタクを描くときでは、筆致が異なっていたなど。それでは、この本は読まれる価値はないのか。190ページの「芸術は人間が人間であるためにあるのだ。人間が人間であることを証明するために」。この一節のためだけでも、読む価値はあった。

今朝、このブログを書こうと思い立ったのは、「読書メーター」さんのレビューの文字数制限(255文字)では収まりきらないものがあったのではないかと、昨夜から考えていたからです。

まず、この本の内容に入る前に、補足として2012年3月10日にオンエアされた「3月11日のマーラー」について触れておこうと思います。この番組を見ていなかったら、まずこの本は読まなかっただろうと思います。

この番組は、「ドキュメント」として制作されたものです。関係者は当然、ご本人の名前で登場しています。番組は、若い楽団員が会場に向かう模様についての取材が1つの柱として構成されていました。

見た感想としては、よくあの状況で、会場内の映像が残されていたなということに着きます。

さて文中では、主として6人の老若男女の聴衆と、演奏側関係者が数名(当然指揮者も含まれています)が登場します。その6人が、どのような経緯で当日の演奏会に向かうことになったのかが描かれます。ここで残念に思ったのが、「読書メーター」さんでのレビューでも書いたように、登場人物の「キャラクターづけ」におもねるような筆致に流されてしまっているということです。

特に、「音楽評論家」と「アイドルオタク」の2人について、藤谷さんはそれぞれ「それらしい」人物像と文章を用意してしまいました。これは、過剰というべきなのか、「知っていること」を全て書きつけたかのような印象を受けてしまいました。

特に評論家については、テオドール・アドルノの『マーラー』や、ホロヴィッツスカルラッティなどをちりばめ、いかにもそれらしく「粉飾」しているように思われました。

しかしながら、会場で演奏が始まってからの臨場感は大したもので、藤谷さんは当日、その105名の聴衆の1人だったのではないかと思われるほどでした。

この日「にも関わらず」、予定どおりにマーラーを演奏したことについては、今も賛否両論があるかと思います。しかしながら私は、確か鷲田清一さんが述べていた、「人間がその生活をゼロから建て直す時に、アートはどう関われるのか」ということの一端が、この本には表現されていると思うのです。