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【寸評】幸福論(アラン、1925年)白水社Uブックス版

おはようございます。昨夜読み上げた、アランの『幸福論』について、今日はご紹介しようと思います。 

幸福論 (白水Uブックス1098)

幸福論 (白水Uブックス1098)

 

岩波文庫など、いくつも訳があるうちで白水社版を選んだのは、翻訳が串田孫一・中村雄二郎、解説が辻邦生という豪華メンバーだったことによります。ただし、「Kindle本」としての出来はイマイチでした(「脚注」をタップしても、そのページに飛ばない)。

アランの幸福論は、1906年から1932年にかけて執筆されています。ちょうど第一次世界大戦を挟んだ時期でもあり、アラン自身も従軍していたらしい記述が見られます。

それを含み、この『幸福論』で述べられているのは、社会的、あるいは家族や職場での人間関係における諸条件が列記されているものではありません。むしろ、幸福を感じられるように振る舞い、生きるとはどういったことか、誤解を恐れずに言えば、「主観的な条件(というより、具体例)」について書かれているものです。

私がまとめてみようと思った限りでは、それは以下の3つとなります。

・身体を、体操などで伸びやかにすること、

・上機嫌でいること、

・礼節を重んじること。

ね。だいぶ思っていることと違うでしょ?

それに、従軍しているらしいにも関わらず、大戦の悲惨さ・非人間性などはほとんど糾弾されていません。

ここで言うところの「幸福」の反対、つまり「不幸」なのですが、1つ取り出してみると、「情念」にとりつかれ、ふりまわされることです。ところが、文中では、「この『情念』とは、○○である」というような説明はされておりません。

そこで手元にある『新明解国語辞典第7版』で調べてみると、

消しがたい愛憎などの感情

とありました。これで納得。感情に身を委ねるなと言っているんですね。

さて、先に挙げた3つについて見ていきましょう。

1.身体を、体操などで伸びやかにすること。

これは繰り返し出てきます。まるで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」を地でいっているような感じです。何でも、あくびなども「幸福」に資するらしいですよ。

ただし、ここでは文句をつけたいところをまとめさせていただきたいと思います。とはいえ、100年前の医学的知見に基づいた発言なので「仕方ない」んですが。

それは精神疾患、例えば不眠や躁鬱病などについても「アラン流幸福論」でたちどころに解消されると書かれていることです。今ではもちろん、専門的知見に基づいた、治療対象であることは言うまでもありません。

2.上機嫌でいること

職業や家族のことで不機嫌でいるよりは、上機嫌でいた方がいいということが書かれています。

また、列車での移動時など、「あと何分で着くか」などということを気にしているのではなく、車窓を彩る田園風景などを楽しむ方がずっといいと述べています。

3.礼節を重んじること

例えば本文に、こんな記述があります。

しかし、礼儀というものは、しばしばわれわれのもとに微笑やしとやかな挨拶をひきよせて、われわれをまったく変えてしまうものである。

そればかりか、

われわれの病気の大部分は礼儀を忘れた結果である、とさえ考えたい、礼儀を忘れるということを、私は人体の自分自身に対する暴力であると考える。

とまで述べています。ともあれ、「礼儀」を重んじることは、自身ばかりではなく、周囲の人々も「上機嫌」にするものとして重視されています。

さて、そろそろ全体をまとめましょう。アランのいう「幸福」とは、どうやら「社交」を重んじているようです。これは、第一次大戦前後という時代もあるでしょう。それに比べると、現代はずいぶんと変わったものです。

しかしながら、全てが変わってしまったわけではありません。日常的に顔を合わせる相手に対しては、試してみる価値は十分にありそうです。

なお、有名な

悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のものである

とは、1923年9月29日の「誓うべし」と題された小文の冒頭に掲げられています

 

※追記 機嫌を上げるには、口角を上げるのがいいかも!