今日聴く音楽、明日活かす読書

読書メモや音楽鑑賞記録のためのブログです。

【検討中】2つのブログを統合しようかと思ってます。

こんばんは。

今日、無事に『カラマーゾフの兄弟』第1巻(光文社古典新訳文庫版)を読了できました。通院や体調不良で全く読めなかった日も含めて、8日かかりました。なので、残り(の方が多いのですが、)の4巻を6月中に読破することを、ひとつ目標として掲げたいと思っております。

で、本題ですが、私はもう一つ「はてなブログ」さんに現役のブログを置いてあって時々更新するんですが、これが全くアクセスがない。。。

こちらのブログの更新頻度と合わせても、たいした負担増になるわけではないので、この際、2つのブログを統合させてしまおうと考えている次第です。

仮のタイトルは「今日聴く音楽、明日活かす読書」です。

まあ、ほとんど「変える」つもりでいるわけなんですけどね(^o^)

【経過報告】カラマーゾフの兄弟・第1巻ほか

こんばんは。

Twitterアカウントの表示名を、「古典も読みたい新書好き」と変更しました、というのはさておいて。

昨日・今日(5/27~28)と、「14歳の世渡り術」シリーズ所収の『ときめき百人一首』(小池昌代さん)を読んでいました。 

ときめき百人一首 (14歳の世渡り術)

ときめき百人一首 (14歳の世渡り術)

 

 

マンガやアニメ、映画で評判になった、末次由紀さんの『ちはやふる』の影響です。これは図書館で借りたものなので、マーキングができなかったんですが、付箋使えばよかったんじゃん!と今にして思います。ぼくねえ、○○が好きなんだよね~、とか語れるようでありたかった(笑) 句集・歌集の類いは数冊持っていて、折に触れて好きなものを読む、というのはいいかもなあと思いました。 

ちはやふる(34) (BE LOVE KC)

ちはやふる(34) (BE LOVE KC)

 

 

百人一首を終えてからは、カラマーゾフ~をいよいよ読み始めました。三男・アレクセイが尊敬してやまないゾシマ老師の下で、父・フョードル、長男・ドミートリー、次男・イワン達が集って、いわば「家族会議」をこれから行う、というところまで読みました。まだ導入でしかないので、感想めいたことは割愛させていただきます。読む進めたら、また書こうと思っています。

 

 

【迷ってます】再読か、むしろ討って出るべきか?

こんばんは。

また間を空けてしまいました。今日はちょっと悩んでいることを書かせていただきたいと思います。もちろん、このブログは「読書」についてのブログなので、「悩み」というのも読書に関してです。

もう私も人生の後半期に入ってしまいました。そこで。

・今まで読んできた本を、もう一度読んでみる。

・今まで読まなかった(避けてきた)本にあたってみる。

のどちらがいいのかなということです。考えてみると、今まで新書、それも『○○入門』的な本を中心に読んでいたので、これからは、読んでこなかった本に敢えて挑戦していきたいと思っています。例えば、ドストエフスキーとか、ニーチェとか。ゲーテとかロック、ルソーなども読んでみたいですね、って、書く前から「古典」志向にシフトすることは決まっていたようですね。

で、読むのはたぶんKindle中心になると思います。もう本当に本をしまうスペースがないんですよ。なので、功罪はあるかと思いますが、Kindle読書が中心になると思います。

「迷ってます」と言いながら、むしろ決意表明のようになってしまいました。お許しください。

ということで、長らくKindle内で眠っていた、『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳、全5巻)から手始めに読んでみようと思っています。読みたいと思っている本、一生のうちに読み終わるかな? 

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

 

 

【寸評】社会学的想像力(C.W.ミルズ)

こんにちは。しばらくぶりのエントリーになってしまいました。

今日は昔取った杵柄で(社会学科に在籍していました)最近読んだ、20世紀アメリカのみならず、社会学全体の基本文献であり、古典である『社会学的想像力』について書いてみようと思います。 

社会学的想像力 (ちくま学芸文庫)

社会学的想像力 (ちくま学芸文庫)

 

 

今回は、「1回目」の流し読みと位置づけ、再読することを前提しています。また、ふだんやっている、鉛筆で傍線というのも試みにしないでおきました。

「流し読み」なのに、約4日かかりました(全400頁ほど)。前までと同じように、「読書メーター」さんで書いた感想を添付しておきます。

59年原著刊。過度の普遍性を目指す「グランドセオリー」、微細な調査データの積み重ねを強調する「抽象化された経験主義」のいずれもが、「自由と民主」の観点からすると、官僚化された体制内存在になってしまっていることを批判し、「社会と個人史との結びつきを強調(訳者解説)」し、粘り強く概念の積み重ねを説く。20世紀アメリカのみならず、社会学全般の古典中の古典。あと何度読めば理解できるだろう。学部生時代に、恩師と共に読んでみたかった。

ここでいう「グランドセオリー」とは、具体的にはタルコット・パーソンズの「社会システム論」を指しています。個から全体を貫いて社会的な「均衡」をもたらす「大」理論、ということでしょう。しかし、パーソンズ以後の「グランドセオリー」は、未だ出ておらず、パーソンズも「時代遅れ」視されています。

もう一方の「抽象化された経験主義」とは、戦後アメリカ社会学のメインストリームとなる、社会調査の大規模化・精緻化を指しているようです。

全体を通して、社会学を始めとした「社会科学者」の「テクノクラート化」に警鐘を鳴らしている内容と私には思われました。

さて、再読はいつのことになるのやら・・・。

【寸評】錦繍(宮本輝)

再読ですが、何回目かはわかりません。たぶん、3回目か4回目になると思います。最初に読んだのは、就職して間もない頃で、友人からの影響でした。以来、宮本作品の新刊は、欠かさずに読んでいました。

しかし、あるタイミングで「飽き」がきちゃったんですよね。近年でも、『草原の椅子』を電子書籍で読んでみたんですが、それほどいいとは思わなかった。

でも、Google Play の¥500クーポンで入手して以来、今まで「死蔵」していた『錦繍』なのですが、ついに再読することとなりました。以下、例によって「読書メーター」さんにUpした感想です。

【再読・回数不明】10年前に起きた事件の後で別れた夫婦が偶然出会ったことから始まる往復書簡という形で提示される物語。己の為した善と悪全ての「業」にその人間は左右される。そして、その「業」とは、縁する人間にも影響を与えてしまうのだろう。靖明が同棲していた女性とPR誌の制作を始めたことや、亜紀は息子の障害などの全てを受け入れて、夫との離別を決意する。宮本作品は時々読んできたが、共通しているのは、必ず「心根」のよい人が、周りを幸福にしていくということだ。この『錦繍』、このタイミングで読めてよかったと思う。

どんな物語であってもそうなんだろうと思いますが、この物語も、数々の「偶然」が重なり合い、連なりあって成立しています。それが、「偶然」ではなくて、登場人物の一人一人がたぐり寄せた「必然」のように感じられるのが、この作品です。

再読にあたって、「あれ、このシーン、こんなに早く出てきちゃうんだっけ?」と思ったのが、喫茶「モーツァルト」の登場と、その焼失の場面。そして、そこで交わされる「生きていることと死んでいることとは同じこと」という会話(たぶん、こんな感じで、精確ではないと思います)。モーツァルト、殊に交響曲第39番が聴かれる場面を通じて、「宇宙のからくり」とか「生と死のからくり」という対話。

実のところ、私もこの作品を読んでモーツァルトに興味を持つようになったのですが、彼の音楽の妙が、人が善を為し、また、悪を為さざるを得ないことが必然であることとして響きあっています。

そして、10年前の「事件」で離別した靖明と亜紀は、何通かの書簡を交換することで、人として正されていく。そうです。この物語は、人が人として「再生」するとは、どういうことなのかを書いた試みの一つであると言えると思います。 

錦繍 (新潮文庫)

錦繍 (新潮文庫)

 

 

【ご報告】『錦繍』読み始めました。

こんばんは。

昨日1冊読み終わってから、何を読もうかと考えていて、先延ばしにしていた宮本輝さんの『錦繍』を読むことにしました。 

錦繍 (新潮文庫)

錦繍 (新潮文庫)

 

 

宮本輝さんは、もうン10年前に大学を卒業してしばらくの間、よく読んでいました。テレビでの『青が散る』(見てないけど)、映画での『優駿』などが話題になったあとのことです。読んだ感想は、また書かせていただこうと思っていますが、人が人として生き、再生するとはこういうことだと示された内容だったと記憶しています。

1つ悩みがあって、それは、慣れたKindle端末で読めないということです。Google Playからいただいたクーポンで購入したので、スマホでの読書となります。大丈夫かな??

【寸評】幸福論(アラン、1925年)白水社Uブックス版

おはようございます。昨夜読み上げた、アランの『幸福論』について、今日はご紹介しようと思います。 

幸福論 (白水Uブックス1098)

幸福論 (白水Uブックス1098)

 

岩波文庫など、いくつも訳があるうちで白水社版を選んだのは、翻訳が串田孫一・中村雄二郎、解説が辻邦生という豪華メンバーだったことによります。ただし、「Kindle本」としての出来はイマイチでした(「脚注」をタップしても、そのページに飛ばない)。

アランの幸福論は、1906年から1932年にかけて執筆されています。ちょうど第一次世界大戦を挟んだ時期でもあり、アラン自身も従軍していたらしい記述が見られます。

それを含み、この『幸福論』で述べられているのは、社会的、あるいは家族や職場での人間関係における諸条件が列記されているものではありません。むしろ、幸福を感じられるように振る舞い、生きるとはどういったことか、誤解を恐れずに言えば、「主観的な条件(というより、具体例)」について書かれているものです。

私がまとめてみようと思った限りでは、それは以下の3つとなります。

・身体を、体操などで伸びやかにすること、

・上機嫌でいること、

・礼節を重んじること。

ね。だいぶ思っていることと違うでしょ?

それに、従軍しているらしいにも関わらず、大戦の悲惨さ・非人間性などはほとんど糾弾されていません。

ここで言うところの「幸福」の反対、つまり「不幸」なのですが、1つ取り出してみると、「情念」にとりつかれ、ふりまわされることです。ところが、文中では、「この『情念』とは、○○である」というような説明はされておりません。

そこで手元にある『新明解国語辞典第7版』で調べてみると、

消しがたい愛憎などの感情

とありました。これで納得。感情に身を委ねるなと言っているんですね。

さて、先に挙げた3つについて見ていきましょう。

1.身体を、体操などで伸びやかにすること。

これは繰り返し出てきます。まるで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」を地でいっているような感じです。何でも、あくびなども「幸福」に資するらしいですよ。

ただし、ここでは文句をつけたいところをまとめさせていただきたいと思います。とはいえ、100年前の医学的知見に基づいた発言なので「仕方ない」んですが。

それは精神疾患、例えば不眠や躁鬱病などについても「アラン流幸福論」でたちどころに解消されると書かれていることです。今ではもちろん、専門的知見に基づいた、治療対象であることは言うまでもありません。

2.上機嫌でいること

職業や家族のことで不機嫌でいるよりは、上機嫌でいた方がいいということが書かれています。

また、列車での移動時など、「あと何分で着くか」などということを気にしているのではなく、車窓を彩る田園風景などを楽しむ方がずっといいと述べています。

3.礼節を重んじること

例えば本文に、こんな記述があります。

しかし、礼儀というものは、しばしばわれわれのもとに微笑やしとやかな挨拶をひきよせて、われわれをまったく変えてしまうものである。

そればかりか、

われわれの病気の大部分は礼儀を忘れた結果である、とさえ考えたい、礼儀を忘れるということを、私は人体の自分自身に対する暴力であると考える。

とまで述べています。ともあれ、「礼儀」を重んじることは、自身ばかりではなく、周囲の人々も「上機嫌」にするものとして重視されています。

さて、そろそろ全体をまとめましょう。アランのいう「幸福」とは、どうやら「社交」を重んじているようです。これは、第一次大戦前後という時代もあるでしょう。それに比べると、現代はずいぶんと変わったものです。

しかしながら、全てが変わってしまったわけではありません。日常的に顔を合わせる相手に対しては、試してみる価値は十分にありそうです。

なお、有名な

悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のものである

とは、1923年9月29日の「誓うべし」と題された小文の冒頭に掲げられています

 

※追記 機嫌を上げるには、口角を上げるのがいいかも!